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ピアノの音の神髄?

ピアノの音の神髄って何


ピアノを触っている仕事なので、西洋音楽、文化も理解が必要かなと常々思っています。

本場はこうだ、日本は違う。そういわれて、自分自身もそう思っていました。

西洋の文化と場所、生活、宗教すべてが違いますが、ピアノは西洋文化の物です。

後でお伝えしますが、西洋文化の要はやはり宗教だと思い、

お客様で、キリスト教の方、神父、牧師、宣教師など宗派を問わずお話をすることがあるのですが、

神が横にいる、包まれる、と言う言葉をお聞きします。

熱心にお話されますので、その共感のようなもの、感覚が伝わります。

肯定的な、明るく安らぎ、感動のある感覚です、これは感じないと分かりません。

何と言っていいのか、つたない表現でお伝えしますと、

私が子供だった頃外国人の方は珍しく、ごく稀にみる宣教師の方を見て珍しさからお話をお聞きしました。

宣教師さんのあの笑顔とやさしさ、しかしこれまで生活してきて感じてきた笑顔と違う不思議な、構えていない笑顔。

この不思議な感覚が、ピアノの音の神髄かなぁと最近感じます。

その感覚から物事をたどっていくと行くと、なんとなく西洋音楽の発想につながる気がします。

キリスト教 共感、暖かさ、賛美

神道 集中 平静 神聖 

キリスト教が感覚を外に向けているような気がします。

神道は感覚が内面に向かっているような気がします。

 

steinmeyer.jpg


それと反対の出来事として、日本の伝統楽器を西洋人が演奏すると、明るく朗々と鳴らします。

三味線尺八、琴、明るく朗々と本能で神の賛美を歌うように聞こえます。

何か違う、あの神社の玉砂利を踏んだ時に気が引き締まる、一本筋の通った気持ち。

精神を集中して感覚を研ぎ澄まし、空間を引き締める。

まるで能の舞を演じているような、これは日本人の気持ちです。


この気持ちでピアノを演奏していたり、ピアノを調整する。

しかし違う、西洋とは違う、努力が足りないもっと精進しなければ・・・

演奏家も技術者も険しく、まるで修行僧のようです。

西洋人が調整しているのを見ると集中していないように見えるのも、

完璧でないように見えるのも、このためかもしれません。

表現するテクニック、技術者の技術も飽和状態と言えるほど研究されつくしているとも思えます。

ただ、要の宗教感には達していないのではないでしょうか。


東洋製の十字架に神は宿らないのか、こんなもの使えないとキリスト教の方が言うとは思えません。

同じくピアノもどこのメーカーでも構わないと言えなければならないのです。

また、僕自身代々仏教徒で、改宗する気は今のところありません。

ただ、ピアノを触る時はキリストを意識して接しようと思います。

外人が琴や三味線を触る時、せめて触る時は神道を意識してくださいと、言うような感じで違和感はないと思います。


クリスマス、結婚式はキリスト教、正月は神道、お葬式、お盆は仏教、

良い物は取り入れようとする日本人、ピアノを前にする時くらいキリスト教を感じるのも難しくないかもしれません。





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ノブ

Author:ノブ
こんにちは、ピアノの調律師の谷口です。ピアノの関する情報と、イタリア音楽など関するホームページを作っています。ぜひ立ち寄ってください。

10.10.2011~